商品詳細

太田三郎「POST WAR 66 戦災痕 田町橋 岡山市北区中央町」 [OS11]

価格: 55,000円(税込)




<ご注文の確定について>
当オンラインショップのシステム上、カートに入れている状態では商品はキープされません。
商品はご注文の確定時に、はじめて確保されますので、ご了承の上ご利用ください。
<受注メールについて>
火曜日はお問い合わせや受注メールのご返信をお休みしております。
ご注文いただいた方へのご返信は、翌営業日以降に順次お送りいたします。

商品詳細

太田三郎 POST WAR 66 戦災痕 田町橋 岡山市北区中央町

紙にレーザープリント 縦28.7×横15.8cm ed.50 2011年 

■ POST WAR 66 戦災痕  

岡山市は太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)6月29日未明、米軍B-29の爆撃を受けた。

焼夷弾による空襲で市街地は焼野原と化し、子どもを含む1,737人が亡くなり、6,026人が負傷、

被災家屋25,032戸、市街地の73%にあたる7.69平方キロメートルが焼失した。

米軍第21爆撃集団の作戦任務報告によれば、現在の県庁通りと国道53号線の交差点を爆撃の中心点とし、

半径1,200メートルの円内に138機が焼夷弾を投下して市街地を焼き尽くすように計画されていた。

このことから、都市と人間を標的とした無差別爆撃であったことがわかる。

先導機が岡山に到着して攻撃を開始したのが午前2時43分、

攻撃終了は午前4時7分、攻撃時間は1時間24分とされる。

14,789個の焼夷弾と焼夷爆弾によって岡山市は火の海となり、

空襲警報が鳴らなかったこともあって、多数の死傷者を出すこととなった。

爆撃の間、一機の迎撃機も飛び立つことはなく、高射砲の応戦もなかった。

繰り返し攻撃を受けた市街地は猛火につつまれた。

岡山市が平成12年(2000年)1月から2年余りかけて戦災死傷者名簿の調査・作成を行った結果、

氏名等で確認された戦災死者は2006年5月現在1,442人である。

 

岡山市は、日本国憲法に基づく平和な社会の実現を目指して、昭和60年(1985年)に「平和都市宣言」を行い、

平成元年(1989年)には、岡山空襲のあった6月29日を「岡山市平和の日」と定め、

平和講演会・岡山戦災の記録と写真展の開催、被災建築物説明板の設置等、さまざまな平和祈念事業を行っている。

市のホームページ「岡山市内に残る戦災の遺跡」には、ひび割れた橋、

神社の狛犬や灯籠、寺の山門などが詳しく紹介されている。

2010年、それらを追跡調査すると、炎と轟音の中を逃げ惑う市民の姿がにわかに現実味を帯びてきた。

空襲で亡くなった無念さや家族を失った悲しみは、戦後66年経っても消えるはずがない。

「POST WAR」は「戦後」を意味する私の造語である。

「POST WAR 46-47 兵士の肖像」「POST WAR 50 私は誰ですか」

「POST WAR 54 被爆地蔵」「POST WAR 55 被爆樹」

「POST WAR 56 無言館」「POST WAR 60 被爆者」「POST WAR 62 軍人像」をこれまでに手がけた。

 

「POST WAR」に続く数字がリセットされぬよう、

無限にカウントされることを願いながら、このシリーズと取組みたい。

「岡山空襲平和資料館冊子」「岡山市Wikipedia」「総務省ホームページ/岡山市における戦災の状況」参照

 

 [関連情報] 展覧会:

アートスペース油亀企画展 太田三郎 作品展「出石町の家」戦後66年岡山空襲に寄せて

2011年8月1日(月)〜15日(月)

会場:アートスペース油亀

http://aburakame.web.fc2.com/contents/exhibition/100801saburo_ota/house_in_izushicho.html

作品のお問い合わせ先:

アートスペース油亀 http://www.aburakame.com

Webshop「momokame」:http://aburakame.ocnk.net/

Facebook:http://www.facebook.com/aburakame

Tel:086-201-8884 mail:aburakame@gmail.com

商品詳細

作品の情報: 太田三郎 POST WAR 66 戦災痕 田町橋 岡山市北区中央町 紙にレーザープリント 縦28.7×横15.8cm ed.50 2011年 (額なし)

ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内